PtBasket

取り合えず、スクラップさせてください。
ー手動でタグ付けるのだるいー
Posts tagged 言葉

派遣会社からぼったくられた後の安い給料とゴミみたいな残業代で
ぎりぎりまで大量のソースコードを書かされ
深夜遅くまで単体試験と改修を繰り返し無能なプロマネやSI業者のお守りをして、
深夜0時過ぎにようやくコンビニ弁当を片手に家に着くと、
アパートの宅配BOXにアマゾンからの小包が入っている。
小包を開けると、数ヶ月前に予約したフィギュアの伝票が。
薄い保護シートを破るのももどかしく、箱を開けるとツンとする真新しい塗装の匂いと一緒に
Tシャツを捲り上げたハルヒが元気に微笑む。
「まあ、いっか。」
ハルヒの笑顔を見ながらノリ弁を食べてつぶやく。
そんな日々の繰り返し。
お姉ちゃんがいきなり「ねえ、もしどこでもドアがあったらさ、やっ ぱりいきなり他人の家に上がり込んだり金庫に出現したりする人がでるから、やっぱり駅みたいな場所が必要だよね」って言い出して、ああこの人は私なんかよ りもっとずっと真面目にどこでもドアが欲しいと考えてきたんだって思った
* 笑顔(えがお)

 詐欺師グループのリーダーは、新人詐欺師にまず「笑顔の練習」を繰り返し繰り返しさせる(それはあらゆる接客業にもまして徹底している)。
 人の表情はかなりの部分が自動反応であり(わざと笑うことや怒ることは意外に難しい/不自然でかなりの努力を必要とする)、我々の表情認知システムはそ れを(心情と関係のない表情をつくり出すのは難しいことを)前提にしている。早い話が、(つくり)笑顔や(うそ泣きの)涙にコロっとだまされる。われわれ の心システムは、表情に自動反応してしまう。これはもう、古今東西の文学がくりかえしモチーフにしている。
女子は絶好調になるだけ
だけど男子はねーー
今は こーーーんなに
カワイイのに
イッキにもじゃもじゃのオッさんになっちゃうのよーーー!!

漫画版 フリクリ[上]ウエダハジメ

ミヤジュンのセリフ

 しかし、今日改めて見たら全然印象が違った。私は「蛍の墓」という映画について根本的な誤解をしていた。たしかに戦争は舞台装置として使われているが、これは「反戦映画」なんかじゃ全くない。もっといえば、「戦争」という時代は「蛍の墓」の話の本筋には、ほぼ何もつけ加えていない。兄と妹が息絶えるという悲劇的なラストも、戦争のせいではなく、単に彼らが「俺たちに明日はない」のような放蕩生活を送っていたからに過ぎない。

 親を無くし、空襲で家を焼かれた彼らはおばさんの家に厄介になるが、やがて「働きもせず飯を食べてばっかりいる」彼らに、おばさんは苛立ちを募らせてゆく。兄と妹は居心地の悪さを感じるようになる。我慢の限界に達した兄の清太は妹を連れ出し、おばさんの家を離れる。いわゆる、逆ギレという奴である。家を追い出されたわけではない。清太自ら「居心地のいい場所」を求めて無計画に家を飛び出すのである。やがて、小さな洞穴を新しい我が家とし、外界との接触を一切断ち、二人だけの生活を始める兄と妹。兄は、そこら辺にある蛙をとったり、畑から作物を盗んだりして、食いつなぎながら穏やかに暮らすが、そんな生活に幼い妹が耐えられるわけなく、やがて妹は、栄養失調で死にいたる。

 重要なのは、彼らの命の選択権は「戦争」にあったのではなく、彼ら自身にあったということだ。言い換えれば、二人は「死」という結末にならなくてすむ選択肢も取りえた。たとえば清太は、終戦まで我慢しておばさんの家に留まることもできたし、別に働き場所を見つける事は可能だった。途中でリンチされる清太を助けてくれた警察官に理由を言って救いを求めたら、違う結果にもなったはずだ。唯一、「戦争」そのものがストーリーを動かしている所といえば、空襲で母親が被爆し不条理に命を奪われる冒頭の約10分だけで、その後ストーリーの牽引役は完全に兄の清太の(自己破壊的な)行動にある。

 そうならば、妹の節子を殺したのは実質的に、兄の清太だといっていい。しかし清太自身は、自分の身勝手さに妹は巻き込まれたのかもしれない、という可能性には全く気付いていない。少なくとも、燃え盛る妹の死体を見つめる兄の視線からは微塵の「自責」の意識も見られない。そこには、ただ、自分の道なんかを信じちゃって進まんと決意しちゃうまっすぐな瞳がある。私は、このまなざしをみた時、吐き気がした。それは、小学校の時感じた戦争のグロシーンに対してのそれとは全くちがうタイプの、この映画による2回目の吐き気だった。

 繰り返すが、これは戦争映画ではない。戦争それ以前に、社会において人と折り合っていくことを拒み、自分が他と独立な法則にしたがっていると信じ、完全な自足の道を求めようとした若者がたどってしまう足跡の映画である。実際、この映画を手がけた高畑監督自身も、口すっぱく「これは戦争反対の映画ではない」といっていたようだ。それが”戦争の悲しさを伝える映画”として流布されたのはおそらく、プロモーションサイドの暴走であろう。

 確かに、「蛍の墓」は悲劇だ。ただ、この映画において結果的に悲劇をもたらしたのは戦争ではなく、この頑なで、近視眼的な若さのようなものである。泣けるっちゃあ、そこで泣ける。

725 :可愛い奥様:2011/08/01(月) 08:07:42.44 ID:8TQD2UPk0
「夜どんなに落ち込んで暗い気持ちになろうと
その場で行動してはいけない
必ず朝の光の中で考え直しなさい」

大学に入った時、最初の授業中に年配の先生が
「若い人にこれだけは言っておきたい」と聞かせてくれた言葉

今でもありがたかったと思う”

- 作ったら・試したら、良かったもの part47 (via eternityscape)
この国には『イヤなものはイヤと言える人が少ない』だけでなく『イヤと言える人のことが許せない人が多い』

Twitter / @illvibe (via nakano)
2011-06-13 (via gkojax-text)

自分の考えたとおりに生きなければならない。
そうでないと、自分が生きたとおりに考えてしまう。

ブールジュ
2008-06-16 (via reretlet) (via yksk) (via theemitter) (via yaruo) (via sunaon) (via uessai-text) (via bjorz) (via uessai-text) (via saraudon) (via nemoi, hazy-moon) (via usaginobike) (via rockmanjuno) (via kyohei28) (via knnr) (via layer13) (via interglacial) (via mekarauroko) (via yzat) (via lain65) (via ak47) (via plasticdreams) (via iyoda)

若年無職の人達と数年接してきました。それで分かったことは、
ニート・ひきこもりは、メディアを賑わすような「怠け」の類では断じてありません。
彼らはややもすると、一般人よりも真面目なのです。しかし彼らの多くに共通するのは
「生活面の才能が極端にない」と言う弱点があり、その上で
「羞恥心が非常に強い、人の評価を異常に気にする、人の態度や言葉に傷つき易い」
のです。その共通性は、類似を超えて、一種の疾患や障害にさえ感じます。
それらの性格がその弱点を、人に伺い克服する機会を阻み、深い交友関係も築かせず、
結果「基礎的な生活能力・知識」に極度に欠ける事態を生んでいます。
そう言った人達に、いきなり職業斡旋だ就職案内だは全く無意味です。
彼らが真に欲しているのは、実はそれ以前の「基本の自信」なのです。
悩みに耳を傾けず無茶な要求をいきなり突きつけて、従わないと
「えり好みしている」「働く気がない」と責め立て彼らのせいにする。
そう言う場面を幾度も目にしてきました。親ですらそうなのです。

・引っ越し⇒不動産の利用・契約の仕方、敷金など
・一人暮らし⇒炊事洗濯の仕方、服を自分で買ったことがない、電気通信各種契約の仕方
・出張、遠出⇒飛行機・新幹線の乗り方、ホテルの利用の仕方、浴衣の着方
・地理、移動⇒車の知識、近所しか地理を知らない、時間通りにつけるか
・付き合い⇒幹事とは何か、店の予約の仕方、携帯・クレカの契約・利用知識、飲み会・カラオケへの恐怖
・社会人マナー⇒挨拶の仕方、上座下座、スーツ・靴のメンテ、電話の受け答え、税関係

社会常識がないことを恥入り、それを知られ軽蔑されることを
脅迫障害的に極度に恐れ、若い間に経験する機会を持てずにいたのです。
そのまま「訊かぬは一生の恥」の年齢に達し、完全に歩を進められなくなったのです。
日本人は、悩みにすら線引きをしたがり、許せる枠から外れた悩みには途端に狭量で残酷となり
ひたすら批判の手を緩めず、「甘え」と罵るだけで教えることを拒み続けます。
それを悟っている彼らが打ち明けられず成果が出ないと、それさえも彼らのせいにするのです。
絶対に嘲笑せず「生活訓練」で不安を取り除く、たったそれだけの優しさで人を救えるのに、です。
賃金5000万を10人で分けるとして、年収500万が10人なら、国産車が10台売れる。年収4100万が1人、年収100万が9人なら、前者は外車を買い、後者は車が買えない。日本は今その状態。
既に凄いものが溢れている世の中で打ちのめされず自分の表現をやる人ってのは考える前に手が動いているんだろうな、と思う

あのさあ、問題はやっぱり例の「空気」ってやつなんですよ。
まあ、別に日本人じゃなくとも苦しんでいる人が隣にいるのに
ヘーキで酒をかっ食らう無神経な人間はそう多くはないでしょうがね、
やっぱりこの国における「空気」の拘束力は大したもんなんですよ。


では、この「空気」ってやつに対して我々はどうすれば良いのか。



簡単ですよ。
「空気」には水を差せばいいんですよ。
山本七平も言ってますでしょ。


山本 : ええ。一つは「水を差す」という方法があります。「空気」が出てきたら「水」を差す。これはなんのことかというと、非常に簡単な現実を口にするだけなんでよ。ダダをこねる子には、「そんなこと言ったっていま金がない」と。同じパターンで、太平洋戦争が始まろうとする時にも、思いつめた「空気」に対して「そんなこと言っても石油がないよ」と水を差すことはできたわけです。すると、一挙にさめる。そうなっちゃ困るというので言論統制がはじまるんですね。


岸田 : 燃料補給を無視して惨敗したというけれども、日本にだって昔から「腹がへっては戦はできぬ」というちゃんとした戒めがあるんですよね。それを当時の「空気」は簡単に無視しちゃった。


山本 : つまり「水」をぜんぶ封じておいて「空気」をつくっていくわけです。連合赤軍にしても、まず、絶対に水を差されない状態に自己を置いて、つぎに、水を差しそうな者を次々と封じていったでしょう。


『日本人と「日本病」について』 岸田秀・山本七平  文春文庫(P91)



この本、必読ですよ。
いろんなことが見えてきますよ。
私の言ってることなんて全部ここからの受け売りですからね。
一方、我々は大本のファイルを扱うのに四苦八苦している。

多くのアニメの制作現場では今はそこそこ金のある企画で
Blu-ray化を前提としてる作品は1280あたりで作っている。
ガッツのあるところは1440でつくってるかもしれないが
それを高い編集室でコンバートしてHD-CAM SRあたりに
落としてマスター制作している。
ちなみに1280ー1440くらいの違いなら見た目の差異はそんなない。

なんで1920で作ってくれないのとお嘆きの方もいるかも
しれないが、金がかかるし、重くて作業できないというのが現実だ。
「大判」(カット内でカメラが動く場合、背景は大きくなるので
その手のカットを大判と呼ぶ)のカットだと3000-4000ピクセルに
なったりもするので単純に1920でレンダリングできれば
いいというものではないのだ。

懐かしい話だがlainのPSを中原氏と作っていた時に
当時最速のSGIが買えなくて、Macの9100を買って
AfterEffect 2.0Eを駆使してDTVでCMを作った。
明日が納品という時にレンダリングボタンを押したら
640ピクセルのわずか15秒をレンダリングするのに
2dayという表示が現れた。
慌ててレンダリングが軽くなるように作り直して
難なきとなったが、そこから比べたら今の現場のマシンは
当時のスーパーコンピューターを遥かに超えている。
だが、作っているものも年を追うごとに強烈に重くなっている。

タイムイズマネー レンダリングコストは制作費に直結するのだ。
More Information